大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和37年(ヨ)2181号 判決 1964年4月16日

申請人

林文雄

小尾茂

長嶋剛一

右三名代理人弁護士

芦田浩志

手塚八郎

川口巌

松本善明

寺村恒郎

被申請人

学校法人実践女子学園

右代表者理事長

蓼沼繁枝

右代理人弁護士

佐々木茂

渡辺修

竹内桃太郎

主文

一、申請人小尾、同長嶋が被申請人に対し雇用契約上の権利を有する地位を仮りに定める。

二、被申請人は、本案判決確定の日に至るまで、申請人小尾に対し金一一七、二八九円および昭和三八年一〇月一日以降毎月末日限り一ケ月金二五、一八八円の割合による金員を、同長嶋に対し金一九九、四六三円および昭和三八年一〇月一日以降毎月末日限り一ケ月金三〇、七六九円の割合による金員を支払え。

三、申請人林の申請を却下する。

四、申請費用中申請人林について生じた分の二分の一は同人の負担とし、その余は被申請人の負担とする。

事実

第一  当事者双方の求める裁判

申請代理人は、「申請人らが被申請人との間に雇用契約上の権利を有する地位を仮りに定める。被申請人は、申請人林に対し金二四九、六二一円および昭和三八年一〇月以降毎月末日限り金四二、五八一円を、同小尾に対し金一五八、八五九円および昭和三八年一〇月以降毎月末日限り金二九、三八八円を、同長嶋に対し金二二九、六三三円および昭和三八年一〇月以降毎月末日限り金三四、一二九円を本案判決確定に至るまでそれぞれ仮りに支払え。」との裁判を求め、被申請代理人は、申請却下の裁判を求めた。

第二  申請の理由

一  1 被申請人学校法人実践女子学園(以下学園という)は、肩書地において大学、短期大学、高等学校および中学校を経営しているものである。

2 申請人林は昭和三〇年一〇月一日から、同小尾は昭和三五年四月一日から、同長嶋は昭和三三年七月一日からそれぞれ学園に雇用され、いずれも中学校、高等学校教諭の職にあつた。

3 被申請人学園は、昭和三七年五月四日申請人林に対し、経歴を偽つて任用されたことおよび学園の金品を詐取または盗用したことを理由に、また同年八月一五日同小尾および長嶋に対し、いずれも故意または重過失により学園に重大な損害を与えたことおよび学園の教諭として体面を汚す行為があつたことを理由に、それぞれ解雇の意思表示をした。

二  しかしながら、右各解雇の意思表示は、いずれも次の理由により無効である。<以下省略>

第三  答弁≪省略≫

第四  被申請人の主張

一  申請人林の解雇理由

1  学園は昭和三六年夏頃から、教職員の待遇改善を図るべく、かねて問題となつていた給与体系を再検討していたが、新給与体系の確立には教職員の前職歴を考慮する必要があつたので、昭和三七年二月頃から前職歴を有する者二九名につきその調査を行つたところ、申請人林には次のような重大な職歴詐称の事実があることが判明した。

申請人林が採用されるに際し提出していた履歴書によれば、その職歴は、昭和一二年四月一日から同一三年三月三一日までは私立東邦商業学校、昭和一三年四月一日から同一五年三月三一日までは私立愛知中学校、昭和一五年四月一日から同二一年三月三一日までは東京総合印度研究室、昭和二一年四月一日から同二九年一二月三一日までは冬芽書房、昭和三〇年四月一日から私立東京高等学校となつている。しかし真実は、私立東邦商業学校に勤務したのは昭和一四年三月三一日までであり、私立愛知中学校に勤務したのも昭和一四年四月一日から同一六年三月二一日までであつてそこに一年間の差異があり、昭和一六年三月二二日から同一七年四月六日までは名古屋逓信講習所に嘱託として勤務し、東京総合印度研究室に勤務したのも昭和一七年四月から同二〇年一〇月三一日までで、同年一一月一日から約一年間解放社に勤務し、冬芽書房には社員として同社の仕事に携わつていたのではなく、その客員として美術関係の評論を同社の出版物に寄稿していたにすぎない。

2  申請人林は学園に採用された当時既に前妻澄江と離婚していたのにもかかわらず、昭和三〇年一〇月一五日付の同年度分の給与所得者の扶養控除等(異動)申告書に右澄江を妻と記載して、これを学園に提出し、更に昭和三一年一月一四日付の同年度分の給与所得者の扶養控除等(異動)申告書にも右と同様に澄江を妻と記載してこれを学園に提出してそれぞれ虚偽の申告をし、その結果昭和三〇年一〇月から同年三一年八月までの間前後一一回にわたり、扶養家族手当毎月六〇〇円ずつ合計金六、六〇〇円を学園から詐取した。

3  右1の事実は教員懲戒規程第六条第二号「経歴を詐つて任用されたとき」に、2の事実は同条第三号「学園の金品を詐取又は盗用したとき」の金品の詐取に各該当する。

4  予備的主張

(一) 申請人林に対する昭和三七年五月四日付の懲戒解雇が仮りに無効であるとしても、申請人林は、昭和三七年五月から同年九月下旬に至るまでの間、同人の右解雇にからむ学園との争議に際し、組合の執行委員長として、後記(二)のとおり、数々の違法な争議行為を企画指導し、時には卒先実行した。そこで学園は、さらに右事実を理由として、申請人林に対し昭和三八年一月二七日到達の書面をもつて同月二六日付で懲戒解雇する旨の意思表示をした。

(二) 右懲戒解雇の理由となつた事実は、次のとおりである。

(1) ビラ等の無断貼付

申請人林は、執行委員長として、学園の禁止、警告等を無視し、昭和三七年五月八日以降組合員にしばしば学園の施設に組合名義の文書、ビラ等を貼付させて学園の秩序を著しく紊乱した。

仮りに右貼付が申請人林の指示に基づくものでないとしても、同人は執行委員長としてかような違法行為を阻止すべきにもかかわらず、これを放置した。

(2) 社会科研究室の不法占拠

申請人林は、学園の立入禁止あるいは退去命令があつたのにもかかわらず、昭和三七年五月八日から同年八月八日に至るまでの間、組合員とともに学園の社会科研究室を占拠してこれを組合事務所として使用し、その間五月一九日から前記研究室に赤旗を持ち込み、翌二〇日頃からは寝具を搬入して組合員を連日泊り込ませ、また随時外部応援団体員を招じ入れ、時には宿泊させたりなどして、学園の秩序を著しく紊乱した。

(3) 六月一七日の父兄会に対する妨害

学園が六月一七日申請人林の解雇につき校長から説明を行う目的で父兄会を開催したところ、申請人林は、あらかじめ組合員の入場を禁止されていたのにもかかわらず他の組合員とともに会場に潜入し、閉会宣言と同時に所携のマイクを使用し大声で参集した父兄に呼びかけるなどして会場を混乱に陥れ、もつて学園の秩序を著しく紊乱した。

(4) 七月一〇日の集団抗議

七月一〇日恒例の父兄懇談会の開催されるに当り、申請人林解雇紛争の早急な解決を希求する父兄有志によつてその頃結成された「有志父母の会」が学園の許可を得て右懇談会に参集した父兄に対し入会の勧誘をしたところ、申請人林は、同日午後〇時三〇分頃約二〇名の組合員を校長室に差し向け、前記勧誘を直ちにやめさせるようにと執務中の校長を取り囲んで強硬に抗議させ、約四〇分間にわたり同人の自由を奪つて業務の遂行を不可能ならしめた。

(5) 暴行事件に関する悪質なビラの配付

申請人林は申請人小尾ら組合幹部と相図り、前記七月一〇日集団抗議の際における申請人小尾、長嶋両名の校長暴行傷害事件に関し、歪曲捏造した事実を記載した左記(イ)ないし(ニ)のビラを生徒、父兄等に配布して、学園の信用を著しく傷つけた。

以下いずれも「組合一同」ないし「組合」の名義による(イ)昭和三七年七月一三日付「生徒、父兄、教員の皆さんに緊急に訴えます」と題するビラ「学園理事者はウソを言い」とか、「学園管理者がこのデマを真実のごとくつくろつて」とか、「組合員は校長先生の体には指一本ふれていない」などと記載 (ロ)同月一九日付「夏休みを前に再び生徒の皆さんに訴える(あわせて父兄各位に)」と題するビラ――暴行傷害事件は、校長らのデッチあげであり、学園管理者の手でしくまれた学園一世一代の大芝居である旨記載 (ハ)同月二二日付「全校生徒の皆さんに訴えます」と題するビラ――「校長は組合に関する限り平気でウソを言つてきた」とか、暴行傷害事件は「学園経営者の打つた卑劣な大芝居」などと記載 (ニ)同年八月七日付「生徒、父兄の皆さん」と題するビラには、「校長重傷の嘘も明らかになり」などと記載。

(6) 学園への無断立入り

申請人林は、解雇に伴う当然の措置として学園施設内への立入りを禁止されていたにもかかわらず、五月八日以降七月下旬までの間随時学園内に立ち入つたばかりでなく、五月一二日にはほしいまゝに外部応援団体の者四、五十名を学園内に導き入れて組合員とともに抗議集会を催し、六月二日にも同様外部応援団体の者七、八〇名を導き入れて組合とともに抗議集会を催し、もつて学園の秩序を著しく紊乱した。

(7) 九月一日以降の入門強行

申請人林は、執行委員長として申請人ら被解雇者の学園立入りを計画し、申請人小尾、長嶋ら組合員とともに、九月一日以降同月一五日までの間、学園の立入禁止あるいは退去命令を無視し、多衆の威力を利用して実力で入門を強行し、よつて学園の秩序を著しく紊乱した。

具体的事実は、次のとおりである。

(イ) 九月一日、申請人林は、申請人小尾、長嶋らとともに、組合員その他外部応援団体の者らの応援のもとに、午前八時二〇分頃吉田庶務課長ら学園側警備要員の制止を実力をもつて排除し、西門から学園内に侵入した。

(ロ) 九月三日、申請人小尾、長嶋は、前々日と同様組合員その他外部応援団体の者ら多数の援護のもとに、午前八時一〇分頃学園側警備要員の制止を排除し、西門から学園内に侵入した。

(ハ) 九月四日、申請人林および小尾は、前日と同様組合員その他外部応援団体の者らの援護のもとに、午前八時二〇分頃吉田庶務課長らの制止を排除して入門を強行し、申請人長嶋は午前九時二五分頃組合員その他外部応援団体の者らの応援のもとに、これらの者が破壊した西門から学園内に侵入した。

(ニ) 九月五日、申請人林、小尾および長嶋は、九月三日と同様に組合員その他の援護のもとに、午前八時過頃警備要員の制止を実力をもつて排除し、西門から学園内に侵入した。

(ホ) 九月六日以降は、学園側が実力阻止による不測の事態の発生を虞れて単に口頭で入門禁止を告知する程度に止めたところ、申請人ら三名は引続き同月一五日まで右禁止を無視して入門した。

(8) 九月一日以降の登壇強行・授業妨害等

九月一日以降同月一五日までの間、前記のとおり入門を強行した申請人林、小尾および長嶋は、組合員と意思相通じてしばしば他の教諭の担当する教室に侵入し、あるいは生徒を煽動して正規の授業を拒否させ、時には職員会議の席に現われて議事を妨害し、またはほしいまゝに学園の施設を使用して組合大会を催すなどして学園の教育活動を妨害し、もつて学園の秩序を著しく紊乱した。

具体的事実は、次のとおりである。

(イ) 九月一日、申請人林は、組合員とともに運動場中央付近において、午前八時三〇分頃から授業時間内の生徒約二〇〇名を集めて解雇反対等を呼びかけ、また午前一一時頃職員会議の席に立ち現われて約二〇分間会議の進行を妨害し、さらに午後一時二〇分頃からは外部応援団体の者を学園西門前に集め、約一〇〇名で抗議集会を催した。

(ロ) 九月三日、申請人小尾、長嶋両名は、第一時限に高校二年九組、第三時限に高校二年八組の各教室に、小尾は第二時限に高校三年一〇組、長嶋は同じく中学二年八組の各教室にそれぞれ入り込み、右各組の正規の授業を全く不可能にした。

(ハ) 九月四日、申請人林は同長嶋とともに第二時限および第三時限に高校二年九組の教室に、申請人小尾は第一時限に高校三年八組、第二時限に中学三年五組、第三時限に高校三年七組の各教室にそれぞれ入り込み、右各組の正規の授業を全く不可能にした。

(ニ) 九月五日、申請人林は右同様の方法により高校二年一組第一時限の授業を全く不可能にし、申請人小尾、長嶋も同様にして他の学級の第一ないし第三時限の授業を不可能にした。

(ホ) 九月六日、申請人小尾は、同様にして第一ないし第三時限の授業を不可能にした。

(ヘ) 九月七日、申請人林は同様にして中学二年七組第二時限の授業を不可能にし、申請人小尾、長嶋も同じく他の授業を不可能にした。

(ト) 九月八日、申請人長嶋は、同様にして高校二年九組のホームルームの実施を不可能にした。

(チ) 九月一〇日、申請人小尾および長嶋は、同様にして授業を妨害した。

(リ) 九月一一日、申請人林は第一時限に高校一年四組の教室に入り込み、約五分間授業の開始を妨害し、申請人小尾、長嶋も他の授業を妨害した。

さらに申請人ら三名は同日午後二時三〇分頃から開催予定の職員会議の会場に立入り、校長の退去命令にもかかわらず滞留して会議を流会のやむなきに至らしめ、次いで午後三時頃から、使用禁止の通告を無視してほしいまゝに大会議室において催された組合大会に臨み、解散命令にもかかわらず午後六時頃まで会議を続行した。

(ヌ) 九月一二日、申請人林は、小尾とともに第三時限に高校一年四組の生徒中約一〇名の者を編集室に誘導して、同組の正規の授業を妨害した。なお、申請人小尾は前同様にして第二時限の授業を、同長嶋はホームチームの実施を妨害した。

(ル) 九月一三日、申請人林は、小尾とともに第三時限に高校一年四組の生徒一一名を教室外に誘導して同組の正規の授業を妨害した。なお、申請人長嶋は前同様にして第一時限の授業を妨害した。

(ヲ) 九月一四日、申請人小尾、長嶋は、同様にして第一ないし第三時限の授業を妨害した。

(ワ) 九月一五日、申請人長嶋は同様にしてホームルームの実施を妨害し、また野地副執行委員長は同様に高校三年一〇組第一時限吉田教諭担当の社会科の授業を妨害した。

(9) 前期末試験ボイコット

学園が九月一九日から同月二二日までの間前期末試験を実施したところ、組合は前もつて生徒に対し直接口頭や電話で受験に参加しないように働きかけ、とくに九月一九日には西門付近で登校生徒に同旨のビラを配布して、受験拒否を煽動した。そのため相当数の受験不参加者が出て、学園の教育活動に重大な支障が生じ、学園の信用を著しく失墜するに至つた。

(三) 申請人林は、右のとおり違法かつ不当な争議行為を企画指導し、また卒先実行したものであつて、前記(二)の(1)の事実は教員懲戒規程第六条第九号「前条第五号の情状が重いとき」、第五条第五号「故意に規則もしくは規程を無視し、又は上司の命令に違反し、学園の秩序を紊したとき」に、(2)の事実は同第六条第九号、第一〇号「前各号に準ずる行為があつたとき」に、(3)の事実は同第九号に、(4)の事実は同第一〇号に、(5)の事実は同第八号「本学園教員としての体面を汚す行為、その他本学園の信用を傷つける行為があつたとき」に、(6)の事実は同第九号にそれぞれ該当し、また(7)ないし(9)の各事実はいずれもそれぞれ同第八ないし第一〇号に該当する。

二  申請人小尾の解雇理由

1  申請人小尾は、昭和三七年七月一〇日父兄懇談会の当日、前記申請人林の解雇理由4の(4)に記載した経緯から、申請人長嶋ら組合員約二〇名とともに午後〇時三五分頃突然校長室に侵入して執務中の校長に面談を強要し、校長が退去を求めたところ組合員とともに同人を包囲して激しく抗議を続け、約四〇分間にわたり同人の自由を拘束のてその業務を妨害し、その間申請人長嶋が校長に対して体当りを加えた際右暴行に加功助勢し、よつて同人に安静約一ケ月を要する胸部挫傷を負わせ、さらに校長の救援にかけつけた書記中林二郎を扉などに圧しつけて胸部に傷害を負わせた。

2  申請人小尾は、申請人林ら組合幹部と相図り、右暴行傷害事件に関し、歪曲捏造した事実を記載したビラを生徒、父兄等に配布して学園の信用を著しく傷けた。その具体的事実は、前記申請人林の解雇理由4の(二)(5)記載(ただし、七月二二日付のビラに関する部分を除く。)のとおりである。

3  申請人小尾は、なお組合の書記長として、違法な争議行為を企画指導し、かつみずからも卒先実行し、もつて学園の秩序を紊乱し、あるいはその信用を著しく毀損した。

その具体的事実は、次のとおりである。

(一) 前記申請人林の解雇理由4の(二)(1)記載のビラ等の無断貼付を企画指導または実行した。

(二) 同4の(二)(7)記載の抗議集会をはじめとして、同様な集会の開催をくり返し企画し、これに参加した。

(三) 同4の(二)(2)記載の社会科研究室の不法占拠を企画指導し、かつみずからも泊り込み等を実行した。

(四) 同年五月三一日学園管理者が組合の社会科研究室占拠状況を視察しようとした際、多数の組合員とともに威力を示してこれを妨害し、その翌日学園管理者が兇器を携えて乱入したと記載した文書を配布して無根の事実を宣伝した。

(五) 申請人林の解雇理由4の(二)(3)に記載の父兄会に対する妨害を企画し、実行した。

4  なお、申請人小尾は、昭和三七年五月二四日付で故意に上司の命令に反して学園の綱紀を紊乱する行為があつたとして減給処分を受けているが、全く反省するところがなかつた。

5  右事実中、1の事実は教員懲戒規程第六条第五号「故意又は重過失により、学園に重大な損害を与えたとき」、第九号に、2の事実は同第五号、第八号に、3の事実のうち、(一)ないし(三)の事実は同第九号、第一〇号に、(四)および(五)の事実は同第九号、4の事実は同第六号「屡々けん責、減給を受け、なお改悛の見込のないとき」にそれぞれ該当する。

三  申請人長嶋の解雇理由

1  申請人長嶋は、前記申請人小尾の解雇理由1記載のとおり、校長の自由を拘束してその業務を妨害し、かつ校長に暴行を加えて傷害を負わせた。

2  申請人長嶋は、申請人林、小尾らと相図り、前記申請人小尾の解雇理由2記載のとおり右暴行傷害事件に関し、歪曲捏造しし事実を記載したビラを生徒、父兄等に配布して学園の信用を著しく傷つけた。

3  右事実中、1の事実は教員懲戒規程第六条第五号、第九号に、2の事実は同第五号、第八号にそれぞれ該当する。

第五  被申請人の主張に対する申請人らの認否等≪省略≫

理由

まず、被申請人学園が高等学校、中学校等を経営する学校法人であり、申請人らはいずれも学園の中学および高校教諭の職にあつたこと、申請人林は昭和三七年五月四日、申請人小尾、長嶋両名は同年八月一五日に、さらに申請人林については昭和三八年一月二六日予備的に、いずれも被申請人主張のような理由のもとに学園から懲戒解雇されたことは、当事者間に争いがなく、学園の教員懲戒規程に懲戒免職の基準として被申請人主張のような該当条項の定めがなされていることは、申請人らの明らかに争わないところである。

そこで、以下各申請人に対する解雇の効力について判断する。

第一  申請人林の解雇について

一  昭和三七年五月四日の第一次解雇

1  申請人林が採用されるに当り提出した履歴書に記載された職歴に被申請人主張のとおり真実と相違する部分があること、同人が採用当時前妻澄江と離婚していたのにもかかわらず、被申請人主張のとおり、給与所得者の扶養控除(異動)申告書に右澄江を妻と不実の記載をして、昭和三〇年一〇月から同三一年八月までの間合計金六、六〇〇円を扶養家族手当として受け取つたことは、当事者間に争いがない。申請人林は履歴書記載の職歴に真実と相違する部分があるのは記憶違いに基づくものであると主張し、甲第四号証にはその旨の記載があるが、容易に信用できないし、また、不実の申告により既に離婚した妻の扶養家族手当を受領したことについても、首肯し得べき理由を認めるに足りる疎明資料はない。

してみれば、申請人林の上記所為は、それぞれ前記懲戒規程第六条(免職の基準)第二号「経歴を詐つて任用されたとき」、同第三号「学園の金品を詐取……したとき」に一応該当するものといえよう。

2  そこでまず、申請人林の組合活動についてみるに、申請人林は昭和三五年七月二八日組合が結成されて以来引続き執行委員であり、同三六年四月執行委員長に選任され、解雇当時も引続きその地位にあつたことは当事者間に争いがなく、(疎明―省略)によれば、申請人林は組合結成準備当時から引続き積極的に組合活動を行い、とくに組合が後記のとおり昭和三六年一一月賃金のベースアップ、年末賞与等に関し学園と団体交渉を行うようになつてからは団体交渉委員長として活躍していた事実が認められる。

3  次に、学園の組合に対する態度について考察する。

(一) (疎明―省略)を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、かねて学園の教育方針、労働条件等に不満を感じていた中学、高校の一部独身教員の親睦団体と称すべき「チョンガー会」あるいは「二〇日会」において学園の教育、教員の待遇問題が論じられていたが、昭和三三年早々「二〇日会」が解散されてからは申請人長嶋、野地芳治郎ら三、四名の教員の間で組合の必要性が調議され、組合結成の気運は次第に高まりつゝあつた。昭和三五年になつてから急速に結成の話が進み、六月中旬に至り九月初め頃の結成を予定して申請人林、長嶋を中心とする二〇数名の教員によつて秘密裡に組合結成準備会が組織され、準備委員長に林、副委員長に佐原進、書記長に長嶋がそれぞれ選出された。この動きは直ちに学園の知るところとなり、七月二〇日夏期休暇に入ると同時に、中高校長吉田政一は箱根夏期寮に出かけていた準備会の会員たる羽淵三良を呼び戻して結成準備の状況を明らかにするよう要求したり、同じく準備会員巨勢進に対し準備活動を行つている者の氏名を確かめたりし、教務主任早山英治もまた準備会員たる前記野地、関谷昇、伊藤正信らを呼び結成準備を行つている者の氏名、準備の状況を明らかにするよう要求した。また、その頃理事長蓼沼繁枝は申請人小尾を呼び「組合に加入すると将来のためによくない。林や宮尾は悪い人間だ。組合を結成するのであれば校長に相談してからにした方がよい。」など申し向け、校長も申請人小尾に対し「自分の了承できるような組合にしろ。さもなければ認められない。」と言い、その他理事長と同趣旨のことを述べた。そこで組合結成準備会はかような状況のもとでは一刻の猶予も許されないと判断し、急遽九月結成の予定を変更し、七月二八日神田の教育会館において私教連指導のもとに約三〇名の教員をもつて組合結成大会を開かざるを得なくなつた。

教務主任が校長、副校長に次ぐ地位の職制であることは、証人(省略)の証言から認められ、上記理事長、校長、教務主任らの言動は、明らかに組合結成を妨害する支配介入行為というべきである。

(二) 学園が教員勤務規則および付属規程を定めて昭和三五年一〇月一日から施行したこと、右規則により学園に対する意見具申と諮問に応ずる機構として、新たに中高全教員による教員会が設けられたことは、当事者間に争いがない。前記(疎明―省略)によれば、学園は同年九月一日新学期早々に職員会議を開いて右規則規程を教職員に示し、一〇月一日から施行する旨一方的に宣し、その席上校長は「組合が結成され学園を騒がせたのは不徳の致すところであり、学園は今後組合に対してはノー・タッチで行く。学園に対する意見開陳は新設の教員会を通じてするように」という趣旨の話をし、その後も野地が執行委員長として在任した同三六年四月頃までの間に同人に対して「待遇改善の問題等は教員会を通じて具申すれば足り、とくに組合として活動する必要はない。」という趣旨のことを述べたことが認められる。

右教員会の新設は、その時期や校長の上記言動からみて、組合結成に対する学園の対抗措置であり、これによつて組合活動を封じ組合を弱体化しようとする学園側の意図を窺わせるに十分である。

(三) 前記(疎明―省略)によれば、昭和三六年初め理事長は組合員以外の者を同窓会館に集めて、出席者に対し「学園を理解してくれて組合に入らないのは教師として立派な態度である」との趣旨のあいさつしたことが認められ、学園が同年四月から申請人林の図書主任の職を解いたことは、当事者間に争いがない。(疎明―省略)を総合すれば、学園は同年四月の新学期から執行委員長である前記野地、副執行委員長松永幸雄、執行委員宮尾茂則らの組合幹部その他組合員深代洋、藤森経夫らを学級担任から解任し、執行委員である前記羽淵、組合員篠田俊子は在職二年以上であつたが、学級担任を命ぜられなかつたことが認められる。

もつとも、前記(省略)によれば、学級担任はその適否を考慮して毎年若干の異動交替が行われる例であることは認められるが、少くとも組合の中心活動家と認められる野地、松永、宮尾、羽淵、申請人林らに対する上記処遇については、前認定の組合結成以来の学園の対組合態度から推して、組合活動の故にした不利益な差別であるとの疑が濃い。

(四) 前記(省略)によれば、昭和三六年四月中高部主事に就任した前記早山は六月初旬頃から野地その他の組合員に対し全教員が大同団結して一つになろうと呼びかけ、一二月中旬頃野地らとの間にこの問題で話し合つたが、翌三七年一月一〇日に至り、早山主事は更に教務部長阿原八郎、学年主任佐竹行夫、猪股延久ら現第二組合幹長を語らつて組合に対する反対派グループを形成し、右グループを通じて組合に対し私教連を脱退し、一たん解散したうえ、大同団結して新組合を結成しようという申入れをしたが、右提案は結局組合の容れるところとならず不成功に終つたことが認められる。

右反対派のグループは、私教連の指導による組合の斗争的な活動方針に批判的であつたにせよ、専ら学園の意を体した反組合的御用団体と認むべき疎明は不十分である。しかしながら、(疎明―省略)によれば、主事は昭和三六年四月の改組により校長に次ぐ職制上の地位であることが明らかで、早山主事の上記言動は右グループの活動を通じて組合の運営に介入し支配を試みたとのそしりを免れることはできない。

(五) (疎明―省略)を総合すれば、次の事実が認められる。

組合は結成後日も浅くしかも全教職員が加入していたわけでもないので、当初は団体交渉を申し入れることをせず、もつぱら教員会を通じて地道な活動を続けていたが、昭和三六年一一月組合は、学園に対する同年一〇月以降教職員給与の一律三、〇〇〇円ベースアップ、年末手当二、五ケ月プラス二三、〇〇〇円支給、昭和三七年四月以降初任給を二二、〇〇〇円に値上げの三項目要求を決議して、一一月三〇日から上部団体たる私教連の応援のもとに右要求につき学園と団体交渉を持つに至つた。しかしながら、理事長は終始交渉の席に出ず、校長も第一回の団体交渉に出席して「賃金等は全職員に関することであるから、一部組合員と話し合うことはできない。かような要求は教員会を通じてするように」と発言したのみで、その後の団体交渉には全く出席しなかつた。学園側は一二月一四日の第三回団体交渉から弁護士佐々木茂を団交委員長として出席させて組合に対し強硬な態度で臨み、一二月四日の第二回団体交渉で次回に提出を約していた交渉の基礎となる予算決算書を提出せずに、組合の三要求項目に対し三千円ベースアップの点は拒否、年末手当は二ケ月分、四月以降初任給は一万五千円の限度で認めると一方的に回答した。そこで組合は翌一五日東京都労働委員会に斡旋方を申請したが、学園側は斡旋を受けることを拒否し、双方とも第一回団体交渉以来交渉員の数、交渉方法、理事長学長出席の要否、交渉態度等の団交ルール的事項に関して激しく対立激論が重ねられて、前記要求項目については何ら内容のある話合いもないまゝ、翌三七年一月一四日の第五回の団体交渉は会場変更の問題に端を発して互に非難を応酬して混乱に陥つて打ち切られた。その後組合は再三団体交渉を求めたが、学園は組合側の非礼、不誠意を理由に応じないので、同月二四日更に右労働委員会に対し団体交渉拒否、差別待遇、支配介入等につき救済の申立をした。二月三日には組合員全員がリボンをつけて教壇に立ついわゆるリボン斗争を行い、同月五日には都労働委員会からも団体交渉を行うようにとの示唆がなされた結果、二月八日の第六回から三月一日の第一〇回まで前後五回の団体交渉が行われたが、議題は入試手当、停年制廃止等の要求にもわたり、本題の交渉は殆んど進捗しなかつた。三月五日都労働委員会からさらに双方に対しまず新学年の学級担任基準等の問題から早急に団体交渉により自主的に解決するようにとの勧告があつたので、双方は翌六日の予備交渉において学園側交渉委員には伊藤理事が出席し、同月一三日に団体交渉を開くこと、議題は学級担任に限らず前記組合の諸要求をも含むことを合意したが、当日になると前記佐々木交渉委員長は組合に対し抗議文をもつて、六日の予備交渉における交渉事項の取決めは組合が学園側の伊藤交渉委員を軟禁して同人の権限外の事項につき承認を強要したものであるから、組合が取決め事項の取消を認めるまでは団体交渉を拒否する旨通告し、その後学園側は団体交渉に応じなかつた。しかし、右予備交渉には学園側三名組合側七名が出席して午後四時から八時頃まで行われたもので、右取決めが伊藤理事の自由な意思決定を抑圧するような軟禁状態で行われたとは認められず、仮に右取決め事項が伊藤理事の権限を超えたとしても、その責は組合に転嫁さるべきものではなかつた。

右団交の過程において、組合側が団交ルール的な事項につき徒らに事を構えてこれを固執し、激論の極学園側交渉委員の人身攻撃にわたる等その行動にゆきすぎの点があつたことは前掲疏明資料からも窺われ、団体交渉が混乱に陥り進捗しなかつたことについては組合側も一半の責を免れない。しかしながら、前認定校長発言、団交資料の不提出、予備交渉の取決め撤回等にみられる学園側の言動にも辞を構えて団体交渉を回避しようとする意図を窺うに足り、学園の反組合的態度の一環としてうけとられる。

(六) (疎明―省略)によれば、組合は結成以来教員会を通じて全教職員の労働条件の向上や非組合員に対する教宣に努めてきたが、前記認定のように組合が活発な団体交渉を始めた昭和三六年末から翌年正月にかけて組合に加入する者が増加し、組合員数は一躍六〇名に達し、全教員約九〇名の過半を占めるに至つた。これに対し前記早山主事、阿原教務部長、佐竹教務係ら職制は、昭和三六年末から三七年初めにかけて非組合員に対し組合に加入しないように説得し、組合に対しては、前記認定の大同団結を働きかけたが、それが不成功に終るや新組合の結成を準備し、上記佐竹が執行委員長、阿原が副執行委員長となつて、同年二月九日頃第二組合を結成した(第二組合が結成された点は争いがない)。また、学園は同年四月十数名の教員を新採用したが、その全員が第二組合に加入した事実が認められる。

右第二組合は前認定の組合の活動方針に批判的な教員グループを中心に結成されたものであつて、教職のかたわら学園行政の一部を分掌するにすぎない前記阿原、佐竹らの教員がこれに関与することは教職員組合の性質上あえて異とすると足りず、その他前記証拠に照しても、右組合をもつて直ちに学園と結託した非自主的組合とは認め難いところであるが、少くとも管理者的地位にある早山主事が右教員グループの活動に加担したことは、使用者側よりする第一組合への支配介入をもつて目さるべきものであるし、また新採用者の全員が当時少数組合であつた第二組合へ加入した事実からみると、それは採用に当つての学園側の示唆ないし慫慂の結果と推測するのが自然の数であろう。

(七) 学園は昭和三七年四月学級担任選任基準を定めたが、申請人林、同小尾、前記羽淵らの組合員に学級担任を命じなかつたこと、同年五月六日前記佐原に対し訓告処分をしたことは当事者間に争いがなく、(疎明―省略)によれば、同年三月三日頃校長は組合員荒井正夫、高取和子に対し同人らが都労働委員会において学園側に不利な発言をしたことを理由に解雇をほのめかして右発言の撤回を求め、更に四月一四日には佐原副執行委員長に対し、前年度受持の一生徒に対する大学への進学指導上の落度があつたことにつき退職を勧告するような口ぶりでその責任を強く追及し、五月九日に至つて右落度を理由に訓告処分した事実が認められる。

右事実のうち、申請人林は脚が不自由のため従前から学級担任を命ぜられたことはなく、申請人小尾が学級担任を命ぜられなかつたのは勤続三年以上の新基準に該当しなかつたためであることは(疎明―省略)から窺われ、また佐原に対する訓告処分も落度の責任に比して過重な処分とは認められず、いずれも学園の反組合的意図を推測させる資料とするに足りない。しかしながら、前年度に引続く前記羽淵の学級担任除外、ことに前記荒井、高取らの都労委における発言に対する性急強硬な干渉態度は、上来認定の諸事実と相まつて、学園側の組合ないし組合活動に対する反情を裏づけるものと云えよう。

(八) 以上(一)ないし(七)の認定に反する疎明は、すべて採用しない。

4、以上認定の事実を総合すると、学園は組合結成の当初から時に支配介入をなし、あるいは組合員を差別待遇し、または団体交渉を回避するなど、一貫して組合活動を強く嫌悪していたものと認めるのが相当である。

ひるがえつて、学園の申請人林に対する前認定の解雇理由について考えてみるのに、まず経歴詐称の点については、学園が申請人林を採用するに当りその経歴について十分な調査をした疎明はなく、同人が真実と相違して記載しあるいは記載しなかつた一部職歴は必ずしも教諭の資格にとつて決定的な重要性を有するものとも考えられないし、しかも弁論の全趣旨によれば申請人林は採用以来解雇に至るまで既に六年有余にわたり大過なく勤務していたことが認められる。

また、扶養家族手当詐取の点については、(疎明―省略)によれば、申請人林は昭和三一年二月二七日には事実上現在の妻喜美子と再婚し、同年八月末婚姻届をしたこと、学園側も校長を通じて同年二月頃には再婚の事実を知つていたことが認められる(この点に反する証人(省略)の証言は信用しない)。してみると、扶養家族手当も実質的には昭和三〇年一〇月から翌年一月までの四ケ月分二、四〇〇円だけが理由なく受領されたにすぎないとも言えるのみならず、最後の手当を受領した後既に五年有余経過しているのである。

以上いずれも、その当時学園に些少の事務的配慮があれば容易に発見防止できたと思われる過誤であり、漫然五年以上を経過した後たまたまこれを発見したからと云つて、長年にわたる教職としての勤務実績によらず上記の程度の過去の非違行為をとらえて直ちに懲戒解雇の挙に出た学園の措置については、些か性急かつ過酷の感を免れず、その相当性について十分には納得できない。そこで、前記認定のとおり申請人林が活発な組合活動をしていたこと、学園がかねて組合活動を嫌悪していたこと、しかも、右解雇が行われたのは組合の活動がとくに活発化し給与等の改善方を要求して学園と激しく対立していた時期であり、当時申請人林は組合の執行委員長であつたこと等を考慮すれば、解雇の真の理由は申請人林の活発な組合活動の故にこれを嫌悪して同人を学園から排除しようとするにあつたと言うべく、したがつて同人に対する懲戒解雇の意思表示は労働組合法第七条第一号の不当労働行為として無効であるといわなければならない。

二、昭和三八年一月二六日の予備的解雇について

被申請人さらに申請人林に対し昭和三八年一月二六日付で予備的解雇について被申請人さらに申請人林に対し昭和三八年一月二六日付で予備的に懲戒解雇の意思表示をなし、申請人林は右意思表示も前認定と同様の不当労働行為意図によるものであると争うので、以下その解雇理由を順次検討する。

1、まず、組合が学園の申請人林に対する期限付退職勧告に対し昭和三七年五月二日総会で反対斗争を決議し、同日その旨学園に通告すると共に斗争宣言を発し、以後九月下旬までの間私教連、渋谷区労協と共斗会議を組み、林の解雇撤回、八月からは申請人小尾、長嶋の解雇撤回をも主張して学園との間に争議状態にあつたことは、(省略)その他双方の疏明資料によつて明白である。

2、次に、被申請人が解雇理由として主張する各個の事実については、一応次のように認められる。

(一) ビラ等の無断貼付について

(疎明―省略)を総合すれば、次のように認められる。

組合は五月七日の総会において、申請人林の解雇に関する学園側の生徒父兄等に対する宣伝に対抗する斗争手段として、学園施設へのビラ貼付、父兄へのビラ配布等により生徒父兄らに真相を訴える等の方針を決定し、五月八日以降学園側の再三の禁止警告を無視して、学園施設に次のような書面ないしビラを貼付した。

(イ) 五月八日表門掲示板、アーケード壁等数ケ所に「学園理事者は学園を長期にわたり専制的に支配し、教員は劣悪な労働条件に苦しめられてきた。学園理事者は良き教育環境を作り民主的な教育を達成しようと起ち上つた教職員に対し不当な支配を強化し、いま林執行委員長を解雇しようとしている。組合は労働者の権利を行使して必要な措置をとることにより解雇を撤回させるであろう」との趣旨を記載した「斗争宣言」と題する組合名義の書面

(ロ) 五月末頃ドアに「抗議文」と題する組合名義の書面

(ハ) 六月初頃板塀に「林教諭の解雇を直ちに撤回させよう」「生徒会の決議を尊重し、自主性を発展させよう」「理事会の専制反対、学園の民主々義を守ろう」等と横書き大書したビラ

(ニ) 七月末頃構内理事長私宅板塀に「真実は世界中を味方する」「佐々木は学園をのつとろうとしている」「ウソを云う校長に教育はまかせられない」「経営者としての資格全くなし」等と記載した多数の小さなビラ

(ホ) 九月初頃西門に「三教諭の解雇を撤回せよ」「学園から暴力を追放せよ」等と横書き大書したビラ、コンクリート外壁に「90%の署名は長嶋、小尾、林先生の解雇撤回確実です。すべての生徒の皆様、先生方、父兄の方々の熱意を信じています」と記載したビラ

(ヘ) 九月中旬から二〇日頃までの間に構内理事長私宅板塀に「期末評価を直ちに中止し延期せよ」「生徒に対する処分弾圧を絶対にするな」等と横書き大書したビラ、板塀に「学園理事者が強行する学期末評価にはすべての生徒が平等な条件で評価をうけられるまで断乎として協力を拒否する」との趣旨を記載した「宣言」と題する組合名義の書面、コンクリート壁に「昨一九日一、三〇〇名の生徒は期末評価を拒否して生徒としての良心を守り抜いた。林、小尾、長嶋の三先生は学園理事者の人間らしい心を呼びさますためハンストに入つた。生徒諸君も友情のきずなを結び学園の正義を守りぬこう」との趣旨を記載した「生徒の皆さんに」と題する組合名義の書面

(二) 社会科研究室の不法占拠について

組合が五月八日から八月八日までの間社会科研究室を組合事務所として使用し、その間赤旗を持ち込み、寝具を持ち込んで連日組合員を泊り込ませ、外部応援団体員を招じ入れ、時に宿泊もさせるなど被申請人主張のような態度で占有していたことは、当事者間に争がない。執行委員会等組合の日常活動のためには学園の許諾なしに社会科研究室を使用できる慣行が確立していた旨の(疎明―省略)は容易に信用できず、他に学園が組合に右研究室の使用を許諾したと認められる疏明資料はない。

(三) 六月一七日の父兄会に対する妨害について

六月一七日申請人林の解雇問題につき学園主催の父兄会が催され、申請人ら組合員の相当数が右会場に臨んでいたことは当事者間に争いがなく、(疎明―省略)を総合すると、次の事実が認められる。

学園は申請人林の解雇の正当性に関し再三文書を配布して父兄の了解を求め、一方組合側も前認定の斗争方針に従い口頭、文書等により林の解雇の不当なゆえんを生徒、父兄に訴えた。そこで、生徒の間にも動揺の色がみえ、父兄側から学園に対しことの真相を明らかにしてほしい旨の要望があつたので、学園側からの林解雇の経緯についての説明会として、上記父兄会が開催されるに至つたものである。当日は午後一時に約九〇〇名の父兄が参集し、学園側は理事長、校長、佐々木人事部長等から林解雇のてん末につき詳細な説明を行い、これに対し父兄の一部から組合の生徒に対する働きかけ、社会科研究室占拠、林の構内立入り等を禁ずるよう要望する旨の発言があり、学園側は所期の目的を達したものとして午後四時頃閉会を宣した。組合ではかねて父兄会では組合側代表者にも見解を表明する機会を与えるよう校長に要請していたところ、当日校長からこれを拒否する旨の回答があつたにもかかわらず一部組合員を会場に入り込ませていた。そして、閉会が宣せられた直後右組合員中から申請人林および小尾が演壇にかけ上り、用意していた携帯マイクで林解雇の非を訴えると同時に組合の意見も聞いて欲しいと呼びかけたため、約半数に近い父兄が会場に居残つて組合側の訴えを聞いた。その間組合員および組合の主張に同調する一部の父兄と学園側の主張に共鳴する一部父兄との間に口論野次が交わされ、講堂は一時混乱状態を呈したが、間もなく大部分の父兄が退散するに及び午後八時頃には平静に帰した。

(四) 七月一〇日集団抗議について

(疎明―省略)によれば、林解雇問題につき学園側の主張を支持する父兄約七〇名を発起人として六月末頃「有志母の会」が結成され、他方学園側の説明や態度に釈然としない父兄約七〇名を発起人として七月八日「生徒を守る父母の会」が結成されたが、学園は前者を支援し父兄に入会を勧めていたことが認められる。

そして、(疎明―省略)を総合すると、次の事実が認められる。昭和三七年七月一〇日は午後一時から恒例の父兄懇談会が開催されることになつていたが、前記「有志父母の会」は学園の承認協力を得て、校門付近に受付テントを設け、懇談会のため参集する父兄に対し入会の勧誘を行つた。これを知つた申請人林委員長以下の組合員らは社会科研究室でその対策につき協議の上、午後〇時三五分頃申請人小尾を先頭に申請人長嶋ら組合員約二〇名が一斉に校長室に立ち入り、校長に対して「有志父母の会」の件につき交渉に応ずるよう要求した。校長は、間もなく懇談会が開催されそのあいさつの放送をしなければならないので、交渉は後にして貰いたいと拒絶した。すると組合員らは、応接椅子に腰かけた校長を取り囲むようにして、「有志父母の会」の行つている入会勧誘を直ちに中止させよ、このような混乱した状態では懇談会を行うことはできないと激しく抗議した。これに対し、校長は「有志父母の会」は学校においても承認している団体であつて、懇談会を機会に入会勧誘を行うことには学校も協力しているが、それと懇談会とは何ら関係のないことであり、何ら混乱は生じていないから、直ちに各自の教室に行き懇談会に出席するよう命じたが、組合員らはこれを拒否し、依然として勧誘の即時禁止を要求し続けた。組合員らが校長室に立入つて間もなく、早山、古沢両理事と父兄小田村寅二郎が不穏の形勢を心配してかけつけていたが、組合員らは校長が要求を容れるまでは退去しない気勢を示し、これを制しようとした右小田村に対しても抗議する等校長の付近は混乱状態に陥つた。そのうち放送時刻もせまり、午後一時頃阿原教諭が校長室の入口付近で放送の準備が完了した旨校長に報告したので、校長は再び組合員らに懇談会に出席するよう命じ、自らも放送室へ赴こうとして椅子から立ち上り半歩踏み出したとたん、組合員らは口口に「話は終つていない」「逃げるのか」など大声を発し、それまで校長の椅子に蔽いかぶさるように接近して激しく抗議し続けていた長嶋は、校長を室外に出させまいとして、校長の左側から上体を圧しつけ立ち塞がろうとしたので、踏み出そうとした校長の左胸部と長嶋の右肩とが衝突し、その際同じく校長の面前で激しく抗議していた小尾も校長の右側から同人の前に立塞がつたので、校長はそのまま椅子に押し戻された。間もなく第二組合員の教職員らが、入口で衝立、テーブル等により入室を阻止しようとする組合員らを排して、校長を連れ出したので、予定時刻より約二〇分遅れたが校長のあいさつ放送は行われた。校長は前記胸部打撲による胸痛を訴えて、七月一四日から八月七日まで柳橋病院に入院していた。

もつとも、(疎明―省略)を総合すれば、校長は当時七〇才に近い老齢で心臓肥大、低血圧等の症状を有するところから、激しい心労だけで発病することも屡々で同年中は殆んど毎月のように入院しており、上記胸部打撲も肋骨等に異常を及ぼすほどに強度なものではなく、入院が比較的長引いたのは、持病の心臓症状も加わつてのことと推認される。

(中略) も右認定を左右するに足りない。

(五) 暴行事件に関する悪質なビラの配布について

被申請人主張の日付頃その主張のような内容のビラが生徒、父兄らに配布されたことは、当事者間に争がなく、右ビラの作成配布が組合によつてなされたものであることは、(疎明―省略)によつて明らかである。

(六) 学園への無断立入りについて

申請人林が被申請人主張のとおり学園に立ち入つたこと、および抗議集会が催されたことは、当事者間に争いがない。

(疎明―省略)によれば、五月一二日の集会は私教連、渋谷区労協および組合三者による前記林解雇反対共斗会議の第一回抗議大会として催されたものであるが、外部応援団体員約七〇名が門衛の制止をきかずに構内に立ち入り、組合員全員がこれに参加して、土曜日放課後午後一時から約四〇分間構内第四館アーケードの下で労働歌等を歌つて行われた後、代表者から理事長に抗議文を手交し、六月二日の集会も土曜日午後二時頃から構内運動場においてほぼ同様の規模で催されたことが認められる。

(七) 九月一日以降の入門強行

申請人林が被申請人主張の日時西門から学園に立ち入つたことは、当事者間に争いがない。そこで立入りの状況について考察する。

(疎明―省略)によれば、九月一日申請人林は小尾、長嶋らとともに組合員その他外部応援団員等の応援のもとに申請人らに同情支持を寄せて集合した多数生徒に囲まれながら、吉田庶務課長その他中林、須釜書記ら学園側警備要員の制止を実力をもつて排除して入門したこと、(疎明―省略)によれば、九月三日申請人小尾、長嶋は、組合員、外部応援団体員ら十数名、集合した生徒数十名の応援のもとに、門扉を閉ぢて入構を阻む学園側警備員ら約一〇名の制止を実力をもつて排除し、多数生徒に囲まれながら構内に立ち入つたこと、

(疎明―省略)によれば、九月四日には西門に組合員十数名、応援団員約三〇名、生徒約二〇〇名が集合し、申請人林は小尾とともに前記同様組合員らその他外部応援団体員等の応援のもとに多数生徒に囲まれながら吉田庶務課長の制止を実力をもつて排除して入門し、さらに長嶋は組合員、生徒ら約二〇〇名の応援のもとに既に施錠閉鎖した西門がこれらの者により破壊されるのを待つて、同門から学園内に立ち入つたこと、(疎明―省略)によれば、申請人林は小尾、長嶋らと九月五日集合した生徒約二〇〇名に囲まれながら、吉田庶務課長、中林、須釜書記等の制止を実力をもつて排除して入門したこと、

(疎明―省略)によれば、九月六日には集合した組合員、応援団体員、生徒らの数も一層増加し、スクラムを組んで、入門を阻止しようとする学園側警備員と対峙して約三〇分にわたり怒号喧騒を極めたので、学園は不測の事態の発生を慮つて、実力阻止を断念し、以後は口頭による制止にとどめたが、申請人林らは六日以降同月一五日まで学園の立入禁止命令を無視して入門したこと

がそれぞれ認められる。

(八) 九月一日以降の登壇強行、授業妨害等

九月三日以降同月一五日までの間申請人らが一時登壇したことは、当事者間に争いがない。

(疎明―省略)によれば、九月一日前記のとおり入門した申請人林は、小尾、長嶋らとともに、八時三〇分頃から約二時間にわたり運動場中央付近で組合を支援する生徒約二〇〇名に対してアッピールを行つていたが、午前一一時から職員会議が開催されようとしたところ、申請人ら三名は旧座席につき、校長が再三退席を命じたのにもかかわらず、他の組合員らとこもごも、一方的な解雇には応じられぬとか、かような重大事態に対応しては職員会議で十分意見をきくべきだと発言して容易に退席せず約二〇分間会議の進行を妨害し、さらに午後一時二〇分頃から西門外で開かれた組合員、応援団員ら一〇〇余名の抗議集会に参加して、労働歌を歌い決議文を唱和する等反対気勢をあげたこと、

(疎明―省略)によれば、九月四日申請人林は朝礼の時限に生徒らに囲まれて高校二年九組の教室に入りこみ、生徒らが内側から施錠するに任せて土井教諭担任のホームルームの授業を全く不可能にしたこと、

(疎明―省略)によれば、九月五日申請人林は高校二年一組の教室に入りこみ、古沢教諭の退去要求に対して、「自分には教育する権利がある」などと生徒の面前で云い争つて退去を拒み、同教諭担当の第一時限日本史の授業を全く不可能にしたこと、

(疎明―省略)によれば、九月七日申請人林は中学二年七組の教室に入りこみ、前同様にして古沢教諭の退去要求を拒み、同教諭担当の第二時限社会科の授業を結局全く不可能にしたこと、

(疎明―省略)によれば、九月一一日申請人林は高校一年四組の教室に入りこみ、生徒らに話しかけて第一時限の工藤教諭担任の社会科授業の開始を約五分間妨害したこと、

(疎明―省略)によれば、九月一一日学園は午後三時三〇分から臨時職員会議を開き秋季運動会等の件につき協議する予定であつたところ、申請人林は小尾、長嶋らと会場に入り学園側の退去要求に応ぜず、二時五五分同会議を流会のやむなきに至らしめ、次いで組合は申請人ら出席のもとに学園の使用禁止通告を無視して午後三時から六時頃まで学園の大会議室を使用して集会を開いたこと、

がいずれも認められる(申請人林が被申請人主張のように九月四日第二および第三時限に高校二年九組の授業の妨害をしたことについての疎明はなく、(疎明―省略)によると同月一二日および一三日の各第三時限に高校一年四組の生徒約一〇名が教室から出て授業を受けなかつたことは認められるが、それが申請人林、小尾らの誘導によるものであることについては、的確な疎明があつたとは云えない)。

さらに、(疎明―省略)によれば、

申請人小尾は教室に立ち入つて生徒が施錠するままに担当教諭を入室させず、あるいは担当教諭の退去要求を拒否して登壇を続ける等前認定とほぼ同様の方法によつて九月三日第一時限高校二年九組、(中略)、九月一四日第一時限中学三年五組、第二時限中学三年九組、第三時限高校三年八組の正規の各授業を不可能にしたこと、

申請人長嶋も同様の方法によつて、九月三日第一時限高校二年九組、(中略)、九月一五日ホームルーム時限高校二年九組の正規の各授業を不可能にしたこと、

副執行委員長佐原、野地教諭らの組合員も申請人らの上記登壇強行による授業妨害行為を支持し、支援していたこと

を認めることができる。

(九) 前期末試験ボイコット

(疎明―省略)を総合すると、次のとおり認められる。

すなわち、前記認定のとおり申請人林らの登壇強行により授業が妨害された結果、期末試験を目前にした生徒の動揺は甚しくなり、また父兄もこれを心痛して父兄会の開催を要望したので、学園は九月一八日全校父兄大会を催した。しかして学園側が種々事情を説明し、既定方針どおり一九日から期末試験を実施したい旨を告げて父兄の意見を求めたところ、一部反対はあつたが学園の方針に賛成の意見が多数であつたので、学園は予定どおり翌一九日からの試験を断行することを決めて、父兄の協力を求めた。一方組合の教員はかねて口頭、電話等で生徒に対し試験を拒否するよう説得していたが、一九日には午前七時過頃から登校する生徒に対し正門前でビラを配布したりあるいは西門前で試験を拒否するよう説得を行うとともに、時限ストの宣言を発し、組合員の教員らは四日にわたる試験期間中は試験の監督に立ち会うこともせず、校庭や理事長宅前で坐り込み、受験を拒否した生徒らと語り合い、あるいは受験しようとする生徒らに語りかける等試験拒否の説得を続けた。かような組合員の説得もあつて、第一日には約一〇〇〇名の生徒が受験せず、第二日以降は試験に応じない生徒も漸減して中学校においては約九五パーセントの生徒が受験したが、高校においてはなお第二日目は約七〇パーセント、第三日目は約七八パーセント、第四日目は約七四パーセントの生徒が受験したに止まり、その結果前期末評価は非常な困難に陥り、教育活動に重大な支障があつた。

(中略)によつても右認定を左右することはできない。

2、被申請人が申請人林の懲戒解雇事由として主張する上記(一)ないし(九)の事実、いずれも学園と組合とが右林の第一次解雇をめぐる争議状態の間に行われたものであるところ、それらがもし組合の正当な争議行為のわく内のものであるならば、当然民事上の免責を受け、学園より懲戒をもつて問責せらるべきいわれはない。ただ、それらが学園に対する関係において争議行為としての正当性の範囲を逸脱した組合ないし組合員の違法行為と認められる場合には、申請人林がそれらの行為につき企画、指導ないし実行者として加担した限りにおいて(単に組合幹部なるが故に使用者に対する関係において組合ないし組合員の違法行為につき当然の抑止義務があるとの被申請人の見解には左袒し難い)、学園の経営秩序を乱すものとして懲戒規程に照し処分の対象となることを免れないものと解する。

しかして、組合は執行委員長たる申請人林の第一次解雇を不当労働行為として攻撃し、その解雇撤回を要求して学園と斗争状態に入つたものであることは先に見たとおりであるが、かかる要求も団結権擁護を通じ経済的地位の向上を図るものとして、争議行為の正当な目的となり得ることについては、格別の異論を見ない。また、争議行為も広義には労資の経済的対抗関係において衡平上許容された取引手段の一つと云えるもので、その態様、方法の当否を考えるについては、おのずから相手方の態度等当該争議の具体的事情を無視するわけにはゆかない。

叙上の観点から、前認定の各事実について以下検討を加える。

(一) (ビラ等の無断貼付)上記ビラ等の貼付が組合決定による組合の争議行為であることは、前認定の事実から明らかである。許されていない場所にビラ等の文書を掲示することは一般に使用者の施設管理権と衝突するけれども、ビラ貼りやビラ撒きが組合活動の最も通常な方法であり、とくに争議に際し組合の最も重要な宣伝手段であるわが国の実態を考えると、そのことだけで直ちに違法な争議行為と断ずることはできない。もつとも、本件についてみるのに、学園施設は本来平穏中正であるべき教育の場であり、とくに理性、感情ともなお不安定期を脱しない中高女子生徒の眼に触れ易い場所に上記趣旨内容のビラ等を貼付することは、生徒の心情に刺戟的な動揺を与え、徒らに、教育に対する不信、不安の念を醸すことによつて、学園の教育機能を著しく阻害するものであつて、特段の事情がない限り、違法な組合活動というを妨げない。しかし、(疎明―省略)によれば、学園は五月四日申請人林を解雇すると同時に学園内の廊下に林解雇のてん末を記載した文書を掲示し、父兄に対しても同旨の文書を配布して解雇の正当性を訴え、それらによつて生徒の一部には構内所々に解雇反対のビラを貼るなど動揺を示していたことが認められるのであつて、すでにかような状況のもとにおいて前記ビラ貼付の組合決定をしたことは、学園側の宣伝に対する対抗手段として必ずしも相当性を欠くものではなく、貼付の場所も教室、廊下等の建物内を避け、七月末後記学園の告訴による小尾、長嶋の逮捕までの間はその回数も前記共斗会議による抗議集会当日等比較的限られたものであることが推認される。貼付のビラ、文書の内容も学園の告訴による逮捕事件に挑発された七月末のビラがやや人身攻撃にわたる点があるのを除いてとくに不穏当とも認められず、さらに申請人林の第一次解雇、同小尾、長嶋の解雇が本判示のとおり学園の反組合意図による無効なものである事情をも考え合わせると、本件ビラ、文書の貼付は組合の争議行為として許容される範囲内のものというべく、これを懲戒解雇の事由とするのは当らない。

(二) (社会科研究室の占拠)前認定の組合事務所としての社会科研究室使用は、占有に至つた経緯や占有態様からみて、組合が学園に対し林解雇撤回要求を貫徹するためにした職場占拠、すなわち争議行為の性質を有するものと解されるところ、元来業務阻害を本質とする争議行為においては多少とも使用者の施設管理権能に対する侵害の契機を伴うことを免れないものであるから、単に右占拠が学園の命令に反し研究室本来の用途を阻害するというだけでは、一概にこれを違法とは断じ得ない。ところで(疎明―省略)によれば、社会科研究室は第四校舎三階の社会科教室に隣接し、同じ階上には他に音楽、被服等の数教室があり、階下は校長室、職員室等に当てられていることが認められる。それによると、右校舎は学園の教育ないし管理業務上最も重要な施設の一つであることがわかり、組合が赤旗を持ち込み、組合員が常時泊り込み、外部応援団体員を引き入れて寝泊りさせる等前認定のような態様で社会科研究室を占拠することは、学園に対し単に右研究室の使用不能にとどまらず、学園の運営、施設管理、教育等の業務遂行に重大な支障を生ぜしめるものであることを推察するに難くない。ことに、教室の近くで平生教えを受けている先生たちによつてなされる現実行動が感傷期の生徒らの心情に与える刺戟は、前記ビラ貼付の手段に比べて一層甚しく、学園の教育機能全般に深刻な打撃を与えるものと云わなければならない。また、林の解雇が無効である事情を参酌しても、右占拠が学園に対する真にやむを得ない対抗手段と認めることもできない。結局、社会科教室の占拠は争議行為としても相当性を欠き、違法と云うべきである。

(三) (六月一七日の父兄会場における混乱)六月一七日の父兄会閉会直後における申請人林、小尾らの前記行動は五月七日総会で決定された斗争基本方針に従つた父兄に対する組合の宣伝活動と認められるところ、申請人らは校長の命令に反して父兄会場に臨席したけれども、閉会までなんら議事を妨害したわけではなく、閉会後会場に前認定の多少の混乱を生じたのは主として父兄側の意見対立に起因する多分に自然発生的なものと認められるのであつて、たまたま学園側の説明会に父兄が集合した機会を利用して組合の主張を訴えることも、本件のような争議状態のもとにおいては、学園側の宣伝に対する対抗手段として、なお許容さるべき組合活動の範囲に属するものと解するのが相当である。

(四) (七月一〇日の集団抗議)七月一〇日申請人小尾、長嶋らの組合員が校長に対して集団的に行つた抗議が組合の争議活動の一環としてなされたものであることは、前認定の事実によつて明らかである。当日の父兄会が各教室において級担当教諭が生徒の学業、進学指導等につき父兄と懇談することを目的とするものであつたが、学園側ではこの機会を利用して「有志父母の会」への入会勧誘や校長の談話放送を通じて林の解雇を争う組合側教員の不当性を父兄に訴える意図を有していたことは(疎明―省略)によつて明らかで、このことに対し組合が集団抗議すること自体は、組合活動としてのみならず、懇談会の目的を円満に遂行しようとする教員の立場からも是認し得るところであるが、前認定のような情況のもとに約四〇分間にわたり校長の自由を拘束し傷害の結果まで生じさせたことについては、組合活動として正当な域を超えた違法なものと断ぜざるを得ない。

(五) (暴行事件に関するビラの配布)(疎明―省略)を総合すると、学園は前記七月一〇日の事態につき直ちに校長声明書を発して全職員のほか父兄にも配布するとともに、申請人小尾、長嶋の両名を暴行傷害として渋谷警察署に告訴した結果、右両名は七月二一日に逮捕されたが、同月三〇日には身柄を釈放され、起訴されるに至らなかつたこと、学園は八月一五日右両名を懲戒解雇した直後も七月一〇日の右両名の行動やこれに関する組合の宣伝活動を非難した書面を父兄に配布したことが認められ、さきに認定した組合のビラ配布が上記学園の措置に対抗する組合の宣伝活動であることは明らかである。ところで七月一〇日に生じた事態の真相は前認定のとおりであつて、右ビラに前記学園の措置を「学園経営者の打つた卑劣な大芝居」であるとか「デッチ上げ」であるとか「嘘」という表現で非難する点は事態の真相に合致しないのみか、教職員の組合が生徒、父兄らに対して配布する宣伝ビラとして措辞甚だ穏当を欠くものがあることを否めない。しかしながら一方学園の配布した文書中にも暴行傷害の点につきいささか誇大な表現が見受けられるばかりでなく、前認定の程度の事態につき、かくべつに慎重な調査審議を経た形跡もなく暴行傷害の罪名を付して性急に告訴にまで及んだことは、組合当面の争議活動に対し致命的な打撃であるのみならず、学図経営者の教員に対する態度としても、著しく穏当を欠くものがあるというべきである。右両名の解雇が後に判示するとおり無効であることをも考え合わせると、組合がした前記のようなビラ配布も、学園の挑発に対するやむを得ない対抗手段として、あながちこれを違法視するのは当らない。

(六) (学園への無断立入り)申請人林は組合の執行委員長であるところ、同人に対する第一次解雇は前判示のとおり無効であるから、本件におけるような争議状態のもとにおいて、林が組合活動のため学園内に立入ること自体は、それが後記入門強行に判示するような不当な方法によるのではなく、またその結果として学園の業務に大きな支障を生ぜしめるものでない限り、直ちにこれを違法視することはできない。また前記抗議集会が行われたのはいずれも土曜日の放課後のことであり、比較的短時間内に整然と行われたものであることは前掲佐原の証言によつても窺われるから、争議下の組合活動として違法とまで云えないことは、前同様である。

(七) (九月一日以降の入門および登壇の強行)(疎明―省略)によれば、八月二九日組合、私教連、渋谷区労協の共斗会議において、申請人らの解雇撤回運動の促進を図る目的のもとに、九月一日以降申請人ら三名の登壇斗争を行うことを決定した事実が認められ、同証人らの供述中その具体的方法としてはあくまで学園側を説得し、支援団体が申請人らと一緒に雪崩込むことや実力をもつて入門を強行することはせず、学園側の抵抗があれば登壇は行わなくても差し支えない旨決定し、組合もこれを確認したとの点は、前認定の事実に照したやすく措信できない。そこで、右入門ないし登壇行為が争議行為として正当であるかどうかを考えるに、右証人ならびに申請人本人らは、右入門ないし登壇を決定するに至つたのは生徒側の解雇された教諭の授業を受けたいという切なる要望があつたので、この要望があつたとしても、前認定の入門の態様は、なお冷静な判断力に乏しく感情に走り易い年頃の生徒の集団的実力行動を黙過し利用することによつて学園の抵抗を排除しまたは学園をして抵抗を放棄するのやむなきに至らしめ、実力をもつて強行されたもの云うべく、同様のことは、申請人らの登壇強行、授業妨害の行為についても云える。これによつて学園の秩序が著しく紊乱しその業務遂行に重大な支障を生じたことはもとより、生徒に及ぼす教育的悪影響にも測り知れないものがあり、組合、とくに教職員組合の争議行為として、社会的妥当性を著しく欠き、違法なものと断ぜざるを得ない。

(八) (前期末試験のボイコット)

前期末試験を受けることを拒否した生徒らのうちの相当多数が組合員の説得の影響を受けた結果であることは想像するに難くなく、生徒らに対する右説得が組合による林、小尾、長嶋ら三名の解雇撤回斗争の一環として実施されたものであることは、さきに認定した九月中に組合が貼付したビラの内容からも当然認められる。しかしながら、ややもすれば感情に走り無思慮に付和雷同し勝ちな生徒らの年令層や学力評価の困難による教育上の支障、学園の信用に及ぼす影響等の大きさを考えると、生徒らが動揺するさ中にあえて試験を強行した学園の態度にも批判はあるにせよ、組合の生徒に対する受験拒否の宣伝、説得は、争議行為として常軌を逸脱した違法のそしりを免れない。

4、申請人林が上記争議行為が行われた間組合の執行委員長として名実ともに組合活動の中心的役割を演じていたことは、前認定の事実および弁論の全趣旨から疑がなく、上記2の(二)、(四)(ただし、申請人長嶋の校長に対する傷害行為に該当する部分は、その場の雰囲気から偶発された結果と認められるから、これを除く)および(七)ないし(九)に該当する事実で上記において違法と判示した争議行為については、信用するに足る格別の反対疏明を欠く本件において、組合委員長である申請人林がその企画、指導に参与したものと推認するのが相当である、(二)、(七)および(八)の事実については、自ら一部その実行にも参加したことが前出の証拠から明らかである。

そうだとすれば申請人林は、右違法争議行為について学園の懲戒規程に照しその責任を免れないところ、叙上の行為は学園の秩序を著しく紊乱し、右規程に定める被申請人主張の各懲戒解雇規準に該当するものと認められ、とりわけ前認定の入門および登壇強行斗争(上記2の(七)、(八)、(九))の遂行は、その期間、規模手段、秩序紊乱の程度等において社会的妥当性を著しく欠き、その情状は最も重いものと云うべきである。この点につき申請人林は第一次解雇が無効であるから当然就労請求権があると主張するけれども、右主張はたやすく採用できないのみならず、前認定のような実力行使による就労が許されないことは、云うをまたない。学園に反組合的意図があつたことは前判示のとおりであるが、学園として、組合活動のいかんにかかわらず上記入門、登壇強行の如き違法行為を企画、指導ないし実行した者を教員として学内にとどめおくに耐えられないことは十分肯えることであり、申請人林に対する予備的解雇の支配的理由もこの点にあつたものと察せられるから、右解雇が不当労働行為で無効であるとの申請人林の主張は採用できない。

よつて、予備的解雇は有効と云うべく、この点に関する被申請人の主張は理由がある。

第二  申請人小尾について

申請人小尾が学園の中学校、高等学校教諭の職にあり、被申請人主張の日にその主張のような理由から解雇されたことは争いがないところ、申請人小尾は右解雇の意思表示は不当労働行為として無効であると主張するので検討する。

一、申請人小尾が解雇当時組合書記長の地位にあつたことは当事者間に争いがなく、(疎明―省略)ならびに弁論の全趣旨によれば、小尾は書記長としてまた団体交渉委員として給与問題等組合員の労働条件改善のため活発な組合活動をしていた事実が認められる。

二、そこで被申請人が解雇の事由として主張する事実について考えてみる。

1  (一)昭和三七年七月一〇日父兄懇談会の当日申請人長嶋が校長と体当りして傷害を負わせた際、申請人小尾も立ちふさがつて長嶋に助成したことは、前記申請人林の解雇理由について認定したとおりであり、右行為に至るまでの経緯および組合の集団抗議についての法的評価も、申請人林の解雇理由について述べたと同様である。なお、中林書記に傷害を負わせた事実はこれを認めるべき疎明がない。

(二) 右校長暴行事件に関し組合がビラを配付した事実、組合が校内施設にビラ、文書を貼付した事実、組合の社会科研究室占拠の事実、学園構内における抗議集会の事実、六月一七日の父兄会場混乱の事実およびこれらの事実に対する法的評価の判断は、すべて前記申請人林の解雇理由について認定説示したとおりである。

(三) (疎明―省略)によれば、五月三一日午後九時頃、学長守随憲治ほか一三名の学園側管理者が社会科研究室を視察しようとしたところ、申請人小尾は他の組合員らと共に扉を閉ざしその前に立ちはだかつて入室を拒み、これを妨害した事実が認められる。翌日組合が右視察に関して文書を生徒、父兄らに配付したことは当事者間に争いがなく、右文書に学園側管理者が扉をこじあけるためバールを持参した事実をとらえて「兇器を携えて」と記載する等多少誇張した表現が用いられていたにせよ、その記載内容が全く事実無根であつたとの(省略)の一の記載は、(中略)信用することができない。

右研究室巡視の妨害行為は、前認定の組合による社会科研究室占拠の一態様にほかならず、前説示と同様の理由から、右妨害行為もまた違法な争議行為と云うべきであるが、上記ビラ配布の点は争議下における組合の合法な宣伝活動の範囲内のものと認められる。

(四) 申請人小尾が昭和三七年五月二四日付で減給の懲戒処分を受けたことは当事者間に争いがなく、(疎明―省略)によれば、右処分は前記社会科研究室の占拠を理由とするものである。(疎明―省略)によれば、申請人小尾はさらに同年五月九日付で前認定の斗争宣言貼付の行為につき訓告処分、給料のカットを受けたことが認められるけれども、右文書の貼付は前判示のとおり正当な組合活動であるから、これを理由とする懲戒処分は不当であり、他に「屡々けん責、減給を受け」た事実は認められないから、懲戒規程第六条第六号の免職基準に該当しない。

2、被申請人が解雇理由として主張する事実のうち、違法な争議行為にわたると認められるのは結局暴行助勢を含めた集団抗議の事実と視察妨害を含めた社会科研究室占拠の事実であつて、とくに反証のない本件において、書記長である申請人小尾は右争議行為の企画指導に関与したものと推認されるだけでなく、前認定のとおりその実行にも参加している。そして、これらの行為が「上司の命令に違反し、学園の秩序を紊し」その「情状が重いとき」に一応該当することは、申請人林について判示したとおりである。

しかし、被申請人が申請人小尾の解雇の直接の契機として強調する集団抗議の際暴行傷害に加功したとする行為は、前認定の程度のことであつて、前記のとおりこれをとらえて性急に刑事の告訴に及び、校長の受傷の程度についても幾分誇張的に宣伝した学園の態度には、申請人林の第一次解雇において比較的軽微な事実を経歴詐称、金品詐取ときめつけたのと軌を一にし、機会をとらえて組合活動家を学園から排除し組合に打撃を与えようとする強引さを汲みとることができるのであつて、前記申請人の活発な組合活動、前記認定の学園の一貫した組合に対する激しい敵意、正当な組合活動をも解雇理由として合わせ主張している点等を考慮すれば、申請人小尾に対する解雇の真の理由は同人の活発な組合活動を嫌悪してこれを学園から排除しようとしてなされたものであると認めるのが相当であるから、前記解雇の意思表示は労働組合法第七条第一号の不当労働行為として無効であるというべく、この点に関する申請人小尾の主張は理由がある。

第三  申請人長嶋の解雇について

申請人長嶋が学園の中学校、高等学校教諭の職にあり、被申請人主張の日にその主張のような理由から解雇されたことは争いがないところ、申請人長嶋は右解雇の意思表示は、不当労働行為として無効であると主張するので検討する。

一、申請人長嶋が組合結成以来昭和三七年四月まで書記長の地位にあつたことは当事者に争いがなく、(疎明―省略)によれば、同人は組合結成以来活発な組合活動をし解雇直前も団体交渉委員として盛に活動していた事実が認められる。

二、そこで被申請人が解雇の事由として主張する事実について考えてみる。

(一)  昭和三七年七月一〇日の集団抗議、右集団抗議の際の暴行傷害に関するビラ配布の各事実および右事実に対する法的評価の判断は、申請人林の解雇理由について認定説示したとおりである。

(二)  昭和三七年七月一〇日の暴行事件に関するビラの配布が懲戒解雇の理由とするに足りないことは、申請人林の解雇事由について述べたとおりである。

(三)  同日の集団抗議およびその際の申請人長嶋の行動については申請人林の解雇理由について認定したとおりであり、それが争議行為として違法であり、被申請人主張の懲戒解雇基準に一応該当することについては、申請人小尾の解雇理由について述べたとおりである。

しかしながら、申請人長嶋の暴行の態様、校長の受傷の程度については前認定のとおりであり、他に申請人小尾について述べたと同様の学園側の解雇事情に前記申請人の組合活動を合わせ考慮すれば、右解雇はむしろ申請人の組合活動を嫌悪しこれを学園から排除しようとしてなされたものと認めるのが相当である。したがつてその解雇の意思表示は労働組合法第七条第一号の不当労働行為として無効というべきであるから、この点に関する申請人長嶋の主張は理由がある。

第四  仮処分の必要性

申請人林の本件申請は前記のとおり地位保全の被保全請求権の存在につき疎明がなく、第一次解雇までの給与請求については、前記和解調書に基づきその間の給与額以上の金額を受領したことを自認しているので保全の必要性を欠くと認める。申請人小尾、長嶋に対する解雇はいずれも一応無効であるから、同人らと被申請人との間には依然雇用関係が存続し、同人らは被申請人に対し雇用契約上の権利を有するものと言うべきである。

弁論の全趣旨によれば申請人小尾、長嶋は被申請人から受ける給与を唯一の生活の資としていることが明らかで、他に収入を得ていることを認めるべき疎明はないから、同人らは本案訴訟による救済を受けるまでの間なんら雇用契約上の権利を有しないものとして取り扱われることにより、生活に窮し回復し難い損害を被るおそれがあると言える。

そこでまず、申請人小尾の給与についてみると、同人が解雇当時給与月額金二二、八六〇円の支給を受けていたこと、在籍を前提とする限り同人が昭和三七年八月一六日以降支給を受けるべき給与額は、昭和三八年四月一日以降の基本給および同年度の夏期手当の額を除くほか、同人主張のとおりであることは、当事者間に争いがない。申請人小尾は右基本給は金二六、九〇〇円であり、したがつて右夏期手当も金四三、八五〇円であると主張するが、この点に関する(省略)の記載は容易に信用することができない。したがつて、右基本給および夏期手当は、被申請人の認めるとおりそれぞれ金二四、五〇〇円および金四〇、二五〇円とするほかはないこととなる。

ところで申請人小尾は通勤手当と現物給与の支払をも求めるが、右は同人が現実に勤務して労務の提供をした場合に始めて支給されるべき性質のものと解するのが相当である。なお、被申請人は助成金の支給も同様に現実の労務の提供を前提とすると主張するが、私立学校法に基づく東京都私立学校教育助成条令(昭和二六年二月二四日都条例第二〇号)全般、とくにその第三条第一号、第五条第六号等を対比して見られる助成金制度の趣旨にかんがみるときは助成金は給与に準ずるものと解せられるから、右主張は理由がない。

果してそうだとすれば、申請人小尾が受けるべき給与は、前記通勤手当および現物給与をすべて控除すると、昭和三七年八月一六日から同三八年三月末までは月額金二一、一八〇〇円、同年四月一日から五月末までは基本給は金二四、五〇〇円であるから月額金二六、一八八円、同年六月一日から九月末日までは扶養手当一〇〇〇円がなくなり月額金二五、一八八円となり、期末手当も夏期手当が四〇、二五〇円であるから合計金八五、八九〇円となつて、これらに助成金から支給されるべき一時金一六、〇三一円を加え、同申請人が昭和三八年九月末現在において受けるべき金額は合計金四一三、八九九円となるところ、同人は当庁昭和三七年(ヨ)第二、一七八号仮処分申請事件の和解調書に基づき同月末までに金二八五、六一〇円の支給を受けていることはみずから認めるところであるから既に支給を受けた金二八五、六一〇円を控除した額金一一七、二八九円および昭和三八年一〇月一日以降本案判決確定の日に至るまで毎月末日限り一ケ月金二五、一八八円の支払を命ずるのが相当である。

次に申請人長嶋の給与についてみると、同人が解雇当時給与月額二九、一二九円の支給を受けていたこと、在籍を前提とする限り同人が昭和三七年八月一六日以降受けるべき給与額は同人主張のとおりであることは、当事者間に争いがない。

ところで、前記申請人小尾についての説示と同様の理由により、通勤手当、現物給与の支給を本件において命ずることは相当でないが、助成金の支給は許されるべきである。なお、被申請人は担任手当も通勤手当等と同様に現実の労務提供を前提とすると主張するが、これを首肯すべき疎明はないので給与に準ずるものと解するのが相当であるから、右主張は理由がない。

果してそうだとすれば、申請人長嶋が受けるべき給与は、通勤手当および現物給与をすべて控除すると、昭和三七年八月一六日から同三八年三月末までは月額金二六、〇一九円、昭和三八年四月一日から九月末までは月額三〇、七六九円となるから、これらに同申請人が受けるべき額につき争いのない出産手当、期末手当および一時金合計金一一四、一五六円を加えると、同人が昭和三八年九月末現在において受けるべき金額は合計金四九三、九一三円となるが、同人は前記和解調書に基づき同月末まで金二九四、四五〇円の支給を受けていることはみずから認めるところであるから、本件仮処分においては申請人小尾と同様右金四九三、九一三円から既に支給を度けた金二九四、四五〇円を控除した額金一九八、四六三円および昭和三八年一〇月一日以降本案判決確定の日に至るまで毎月末日限り一ケ月金三〇、七六九円の支払を命ずるのが相当である。

第五  よつて本件申請は、申請人林については理由がないから却下することとし、申請人小尾、長嶋については仮処分の必要性があるからこれを認容することとして、申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九〇条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官橘  喬 裁判官吉田良 正 三枝信義)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例